日記

選挙結果の若干の分析と展望③「生前退位の意向と憲法改正」

 喉から手が出るほど議席が欲しい自民党。その触手に絡め取られる人が現れた。何と民主党政権の時に復興大臣をやった平野さんだ。情けない話だが、知事選対応でほぼ消滅していた自らの政治生命を再生させる絶好の機会ではある。これで自民党は単独過半数の議席数に手が届いた。しかし以前書いた状況が変化することはない。

 安倍総理が考える最大の政治課題は依然として憲法改正だろうか。もちろん思い入れが強いのはわかる。総理の最大の支援組織といえる「日本会議」の悲願でもあるようだ。「彼ら」が理想とするのは戦前の思想であり国家像。本当にそう思っているようなのだ。
 元国家公安委員長の「2673年前(発言当時)の樫原宮での神武天皇の詔を憲法に書くべき」
 自民党の現政調会長の「国民の生活が大事という政治は間違っている」
 元同等法務大臣の「国民主権、基本的人権、平和主義を廃止すべき」
 といった発言を聞くたびに唖然とする。いずれも国民や国民生活よりも国家やその歴史を尊重すべきというもの。近代立憲主義の否定である。立憲主義思想がなければ近代民主主義もない。したがって「彼ら」は民主主義も否定していることになるのだが当人たちはそのことに気付いていない。というか否定している。むしろ明治憲法下の日本的思想が西洋のそれより優れていると思っているのだ。

 思想信条はもちろん自由だが、それを政治家が権力をもって国民に押し付ける。これはいけない。だから多くの人が嫌悪感を感じている。それが今回の選挙が彼らにとって「試合に勝って勝負に負ける」という結果を生んだ。仮に民進党がもっと国民から信頼される党になっていれば「試合」にも負けていたかもしれない。
 そのことを安倍総理は彼なりの肌感覚で感じていると思う。二度目の総理大臣。しかも二度目は、(「彼ら」が嫌悪する)「西洋民主主義」の中心的国家アメリカに忠誠を尽くしているし、それを背景にいわゆる「地球儀を俯瞰する外交」に積極的だ。現代の民主主義を否定し戦前(大戦肯定)の国家観に戻る思想を持つ宰相であれば、誰もまともに相手はしないし、世界の信頼を集めない。そのことを嫌というほど感じているのが安倍総理そのものである。

 よって前述のような疑問がわく。
 加えて、選挙後に突如報道された天皇の「生前退位の意向」もおそらく「彼ら」を驚かせた。「彼ら」が国家元首にしたい天皇が、「彼ら」がよりどころとしている「大日本帝国憲法」をひっくり返すような意向を示した。現天皇はおそらく、戦後民主主義を否定する「彼ら」(少なくとも安倍以前の自民党は基本は戦後民主主義派、いわゆる保守本流が主流)がこのまま主流になって、憲法改正までいくことに危機感を持っているのではないか。そのことは以前のブログ「人はみな平和を背負う旅人なり」に書いた。天皇としての最後の仕事をかけて国民に警鐘をならし、「彼ら」に抵抗する行動を「生前退位」という手段で表しているように思えてならない。だから右翼本流も少々静かである。

 このような推測のもとの考えである。平和主義、基本的人権、国民主権の現憲法の根幹に触る改正案は今の力関係の国会でも無理(もちろんそれ以外の憲法改正はあり得るが)。仮に自公が強行するという荒技があっても国民投票で否決される。そうなったら安倍政権もアウトだ。結果、日本会議的改憲思想の勢力は消滅するか、日影でこっそり棲息するしかない。「彼ら」はガラパゴス右翼であり絶滅危惧種なのだ。
 したがってそんな危険なカケを安倍総理は犯さない。彼の今の政治的課題は、祖父岸信介ができなかったもう一つの政治的課題。それは自らの政権でオリンピックを自国開催すること。岸は前回の東京オリンピック招致決定時の総理だが開催時は政界を追われていた。安倍さんは憲法改正と同じように祖父の思いを引き継ぐ。そのためには2018年9月までの自民党総裁任期を延長し、かつもう一度総選挙で勝たなければならない。2018年秋までに総裁任期を2期6年から3期12年に改正し、総選挙に打って出る。そのための仕掛けで頭がいっぱいのはず。と思うのだが。

2016-07-19 | Posted in 日記No Comments » 
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