日記

人はみな平和を背負う旅人なり。

人間誰もがそうではないと思うが、歳を重ねるごとに人は丸くなってしまうようだ。

若い頃は「貴族あれば賤民あり」と天皇制に対し尖っていたが、そこまで目くじらを立てんでもと思うようになった。むしろ、最近、天皇、皇后や皇太子に親近感を感じている。

安倍政権になってこの方の余りの保守回帰の舵取りは、国内外から少なからぬ批判や不信、不安の意見が寄せられている。それなのに安部総理は益々血気盛んだ。保守回帰といっても彼が求めているものは戦後保守ではなく戦前保守。敗戦、憲法改正、サンフランシスコ講和条約等々の戦後の日本国民が歩んで来きた道のりを苦々しく思う面々のそれである。

安倍政権になって始まった4月28日の主権回復の日。最初の一昨年の式典で、参加した両陛下が退出される際に次第にない「天皇陛下バンザイ」が起こった。当然天皇、皇后は立ち止まり怪訝そうに会場を見回された。天皇の柔和な瞳は崩れなかったが、後を追って退席される皇后の眼差しには厳しさが滲んでいた。

その後の様々な天皇、皇后を始めとする皇室の談話の中に同じような雰囲気を見て取っていた。そんな折だ。「ファクタ」という月刊誌、リベラル系の雑誌ではない。4月号のコラムで「口先国士」と「リベラル天皇」という題で安倍総理と政権を批判していた。

コラムの筆者は「安倍クン化する日本社会」に危機を覚え、唯一の希望に今年元日の天皇発言を上げている。

「(各戦場や原爆等で多数の人が亡くなったことをあげ)この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています」。この言葉を引用し「口先国士」と「リベラル天皇」の対立構図であると指摘している。

戦争責任を追求されつつ死に極めて近かった身が、国体護持の名の下、占領政策に利用され生き続ける道を歩むことになったのが昭和天皇であり皇室である。戦後の日本の歩みは昭和天皇の戦後の人生に重なりあっている。強烈な自戒の中で「生きなければならない」と決意した時、天皇と天皇家の戦後の思想が確立する。その思いは、普通の家族以上に、我々には決して公表されない家族の会話の中で皇太子(今の天皇)や孫(今の皇太子)に語り継がれている、と思う。

今、天皇、皇后はパラオにおられる。おそらく不自由であろう海上保安庁の巡視船を急遽改造しての宿泊所での寝起き。それも「(国籍を問わず)亡くなったすべての人々を追悼し、遺族の歩んできた苦難の道をしのびたい」との思いからの慰霊の旅だからである。おそらく生ある間は続くし、その旅は皇太子に受け継がれるであろう。

明治憲法の下、我が国の元首として先の大戦の全責任を追いつつ生きる道を歩まされた昭和天皇、そして天皇と皇太子。背負っている「平和」のずしりとした重さを感じる。

「人はみな平和を背負う旅人なり」

今朝の東京新聞の平和の句である。その評に「戦いを背負うより困難で勇敢で知性的で優しく長く意義のある旅」とあった。

天皇、皇后がこの句と評を読まれたら何と思われるであろう。きっとさきのバンザイの折に見せた眼差しではなく、柔和な笑顔を見せられるに違いない。

さて、東京にいて新聞を読めるあの人の顔はどうであろうか。いや思いを馳せるのも時間の無駄か。

2015-04-09 | Posted in 日記2 Comments » 

コメント2件

 石川和正 | 2015.04.10 11:38

 お疲れ様です。

 読ませていただきました。
 安倍政治に立ち向かえるのは、外圧(アメリカ)と天皇といわれる昨今。
 翁長知事の迫力とその背景力である沖縄の民衆の力に学ばされ、
 改めておかれたところで声を上げ、活動を続けなければと決意した。
 厳しいけれど仲間がいる。ともに頑張ろう
 

 etakashi | 2015.04.16 10:05

委員長 いつもお世話になってます。なかなか改まってはお礼を言えませんが、この場をかりて「感謝しています」。

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